この前、こんなブログを書きました。

生きるとは表現するということ

私が書いているブログはみんなそうですが、この時はとくに短時間で感情のままに書いてしまったので、もう少し丁寧に書こうと思います。

私は彼女の想いを聞いて、この人に生きていてほしいと思いました。

それまでも当然のように思っていましたが、はっきりと意識的に思いました。

だって、彼女のその気持ちは彼女の心の中にあるから。彼女が死んだら一緒に消えてしまうじゃない。

 

受講生の一人が私に「ファンです」と言ってくれました。「フリーランスの事務のお姉さん養成講座で人生変わったの♪と言えるようになります」とも言ってくれました。

母からも「あなたの生き方を誇りに思っています」というメッセージをもらいました。

涙腺のゆるみ進行が加速する私は、泣いちゃう日が増えています。

人の心に、私に対するそんな想いが育っていることがありがたく、嬉しい。

そして、どうしようもない気持ちになる。

その気持ちに応えるには、あまりに自分が至らない。

できないことだらけで、ちっぽけすぎて、後悔をする。

できないことだらけなのは、今までの自分がやらな過ぎたからだ。

 

自分のことを、人に大切に想ってもらえる、感謝してもらえる、誰かの力になれるような人だと思っていなかったから。誰よりも私が私を信じていなかったせいだ。

 

会社員のころ、できるだけたくさん寝たいと思っていた。

寝ているときは、思考停止して大嫌いな私を見ずに済んだから。自分の存在を意識の外におけるから。私と一緒にいなくていいから。

それくらい、自己嫌悪が強かった。

自分の思想によって自分が苦しんでいるから、その発生源である脳を停止させるために自分を殺そうとしたくらい自分から逃れたかった。

 

 

今は、できるだけ起きていたいと思う。

至らない自分をどうにかしてあげるために努力したいから。人の気持ちに応えて愛を受け取れるようになりたいから。私をもっと輝かせてやりたいから。そのために時間を使いたい。

いつの間にか自分を殺してから9年も経っていて、その間にどんな自分とも一緒に生きていくことを決めていた。

だから、自己嫌悪の苦しみから逃れるための睡眠はいらない。

 

例えばね、あなたの一番大事な人が自分の意志で食事をとらなくなったとしよう。

感情を失って、起き上がれなくなって、痩せていく。

あなたはどうか、何かを食べて欲しくてありとあらゆる食べ物をその人に差し出して懇願する。

でもその人は食べないから、死に向かっていく。

 

自分を大事にしないということは人の愛を受け取らないということで、自分を大事にすることは自分にしかできないんだ。

自分のご飯は、自分の体に入れなきゃいけない。代わりなどいない。

本当の意味で君に愛を届けられるのは、君だけなんだ。

どんなに他人が君を愛しても、君が君を愛していなかったら、愛として届かないんだ。

 

君は人から愛されていないと思っているのかい。

君から愛されていない、の間違いではないか。